過去を未来につなぐ。新しい&を探しながら
常務/東京本部 経営戦略室 大平徳和
会社の枠を広げるための東京進出
昨年10月(2018年)、当社では新たに経営戦略室を立ち上げ、東京本部を設けることになりました。経営戦略室では全国に10カ所ある支店および営業所の業務を統括するとともに、新規案件・事業の開拓も行なっています。
&はケーブルテレビはじめ通信設備の工事を柱に成長してきた会社ですが、今後は新しい領域でのビジネス展開も考えています。それを視野に入れ、本部は東京がふさわしいと考えたのです。私も2月に来たばかりですが、これまで出会わなかったような職種の方々とお話したり、行ったことのない場所に足を運ぶなどして、新事業へのヒントを得ようと模索している最中です。
新しいビジネスとして考えているのは「食」に関わる事業です。時代の変化に足をすくわれることなく、ブレずに大きく育てていける事業をつくりたいですね。具体的な形になるまでにはまだ少し時間がかかりそうですが、腰を据えて取り組んでいきたいと思っています。それと同時に電信関連の工事は当社の大きな基盤ですから、既存事業の市場を開拓することも重視しています。
我々が新しい事業に挑戦するのは、これが初めてではありません。12年前に立ち上げた「飛騨高山ケーブルネットワーク」も、画期的なプロジェクトだったと思います。行政へのプロポーサルや新会社の設立からスタートし、関係者との様々な交渉をへて、地元にケーブルテレビ局「Hit net TV!」を開局したのですが、その一連の流れを目の当たりにできたのは、個人的にも貴重な経験になりました。
新規事業を成功させるためには、様々なハードルをクリアしていかなければなりません。技術面での強みも必要です。このときはHFCという同軸ケーブルが主流だった時代に、光ファイバーを全面的に活用したシステムを提案しました。そこで培ったノウハウがその後多くの現場で活きることになったと思うと、やはり新しいことに挑戦することは大切だと感じます。
飛騨高山ケーブルネットワーク以外にも、いくつかの新しい取り組みに携わってきました。宮崎営業所の立ち上げを担当したのも大きい経験です。いまは立派な事務所になっていますが、最初はマンスリーマンションにCAD(コンピューター設計支援ツール)を持ちこんで、アパート兼事務所といった形でスタートしたんです。
北陸支店では支店長として、取引先の方と一緒にケーブルテレビの市場を開拓するなど、会社がそれまでの枠を広げる様々な試みに立ち会ってきましたので、そこで経験したことを社員に伝え、自分でもさらに活かしていきたいと思っています。
年齢や時代とともに仕事の発想を切り替える
三愛通信設備(旧社名)に入社したのは、通信工事の仕事に特に関心があったからではありません。地元の工業高校を卒業し、よそに出たい気持ちもあったのですが、田舎の長男ですから「ゆくゆくは高山に戻って来れる会社がいいな」という漠然とした思いで入りました。入社してすぐ名古屋勤務になり10年。その後、現在の会長の配慮で高山に戻ることがきたのはとても感謝しています。
入社して25年になりますが、私の業務も年齢につれ、時代につれ変わってきました。最初の頃やっていたのは工事の仕事です。高所作業車に乗ってケーブルを引き、日焼けしながらずっと太陽の下で作業する毎日でしたね。
そのうち設計の業務も手がけることになりCADを覚えました。当時はWindows95などの時代で、設計補助ツールが普及し始めたんです。やがて受注する工事量が増えるにつれ自分たちの手だけでは負えなくなり、協力会社さんにもお願いする中で管理業務がメインになっていきました。東京では副社長の小原と一緒に仕事をすることで、営業面でのノウハウを吸収したいと思っています。
新しいことを始めるときには、まずキーパーソンや一緒に仕事をつくっていける仲間とつながることが大切です。私はあまり社交的なタイプではないのですが、何度も顔を合わせて食事をしたりする中で、少しずつ仕事が回るようになっていきます。宮崎営業所や北陸支店でも人に恵まれたのは、本当にありがたいことでした。
人とのつながりだけでなく、売りにできる技術やスキルがあることも大切だと思います。私の場合、社内では早い時期からCAD技師として仕事をしてきたことが自分の大きな支えになっています。
あとは発想の切り替えですかね? 新しいチャレンジには不安がつきものですが、そこは上手に切り替えていかないと、いつまでたっても変わることはできないと思うんです。横文字の新社名を初めて聞いたときはビックリしましたし、前の社名に愛着もあったのですが、いまでは名刺も自然に出せるようになってきています(笑)。
&という言葉には、モノとモノ、人と人をつなぐイメージがありますが、それに加えて「時間と時間」というのもあるんじゃないかと思います。我々が三愛通信設備としてビジネスをしていた昭和や平成の時代があり、&として新しく出発する令和の時代になったわけですが、過去を未来にしっかりつなげていきたいですね。