夢はケーブルテレビのスペシャリストとして現場に立ち続けること

ネットワークセンター所属 中部ネットワークセンター長 森下真治

私の趣味は釣りです。体を使う仕事なので休日はゆっくりしようとは思うのですが、休みが近づくとそわそわして、1時間ほど車を走らせ海まで釣りに行ってしまいます。会社の同僚と一緒に行くこともあるのですが、仕事の話は一切しませんし、船の上でも延々と釣りの話をしています。オフを目一杯楽しむことが仕事への活力になっているのかなと思っています。

 

10年ほど北陸に赴任していたので、生まれ育った高山にもどってきたときは、人の温もりも料理の味付けも変わらずほっとしました。暮らしているとわかりませんが、地元をちょっと離れたことで、(飛騨高山は)生活の不便もなく過ごせることや、穏やかな人柄についてもあらためて知ることができ、「いい街なんだろうな」って思うようになりました。

 

 

昔から電柱にのぼって作業をしている人がカッコよく見えて、工事に携われる会社はないかと調べて入社しました。20年前は「テレビ共聴」と呼ばれる仕事が多く、ビルの合間や、山間など電波が届きづらい難視聴地域に共同受信アンテナを立てて、そこから各家庭にケーブルで電波を届ける仕事を担当しました。あとは柱にラッパ状のスピーカーがついて、夕暮れになると「夕焼け小焼け」が流れる防災無線なども手掛けました。どちらもまさに私がやりたかった仕事でした。

 

憧れて入った会社でしたが、仕事は大変でしたね。工事に季節は関係ありませんから、夏は暑いですし、冬は雪が邪魔して現場にたどり着くまでひと苦労。覚えることもたくさんありました。最初はどれが電気でどれが通信の線かさえわからないので、他社の線を誤って切ってしまう危険もあります。実際に若い頃にミスをしたことがあって、それをリカバリーできるスキルが当時の私になかったので、すぐに駆けつけてくれた先輩たちが復旧作業を手伝ってくれました。時は流れ、当時の先輩たちと同じ立場になったわけですが、最近の若い人は優秀なので幸いそういう現場には出動していません(笑)。

 

 

現在は光ケーブルを「作る」「つなぐ」「守る」この三つが仕事の柱です。必要があれば電柱を立てて、ケーブルをつないで電波やインターネット回線を届けて、既存の設備を保守する。光が普及したことで、電話・テレビ・インターネット、ひいては生活の質が上がったと感じてくださる方も多いと思います。

 

「テレビが映らない」「インターネットが使えない」という知らせが入った時に、まっさきに頭に浮かぶのは現場の配線です。この地域にはどのように配線されているか、というデータが会社にあるのですが、それを見ながら「ここから先が映らないということは、原因はここかな」と推理しながら、必要であろう機材を準備して現場に向かいます。

 

トラブルの原因はいろいろあります。鳥やリスなど小動物がバリバリと噛んでしまって断線することもあります。断線した箇所は切りおとして新たに配線し直すのですが、悪い知らせはだいたい休日・早朝など、みんながテレビを見る時間帯にやって来る。連絡があれば時間に関係なく復旧作業に向かわなくてはいけません。これが自分の仕事だからつらいとは思いませんが、作業が終わった後に「ありがとう」と言ってもらえるとやはり嬉しいものです。

 

今やインターネットがない生活は考えられません。私たちはその一端を目立たないところから支えています。私たちがテレビを見たりインターネットをする時に、誰が作って、誰が配線して、誰が保守しているとは思いませんが、社会のインフラを支えているという自負はあります。自分でいうのも恥ずかしいけど、私たちは縁の下の力持ち。トラブルなく利用していただくために陰で支えている人がいることをどこかで思い出していただければ幸せです。

 

通信技術は日々新しくなっていくので死ぬまで勉強。夢はケーブルテレビのスペシャリストとして無事故で現場に立ち続けること。やはり現場が楽しいですから。