ニースには“&クロワッサン”のヒントがあったー&クロワッサン物語 その3ー
2019.09.30
and株式会社が現在進めている「&クロワッサン」プロジェクト。そのゴールは「クロワッサン専門店」のオープンです。この記事シリーズでは、2019年8月に実施されたパリとニースでの視察ツアーの様子を、”銀河ライター”こと河尻亨一氏がレポートします。
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and視察隊は本物のクロワッサンを探してパリの街を彷徨ったー&クロワッサン物語 その1ー
シェフ・松嶋啓介氏との出会い。「andならでは」のコンセプトとは?
秋空のパリとはうって変わり、南仏ニースは夏だった。総勢15名のand社員と関係スタッフによるクロワッサン視察ツアーは、後半に入る。パリでは食べ歩きがメインだったが、ニースでは実際にクロワッサンをつくってみる。
ここニースには、andスタッフにクロワッサンづくりの手ほどきをしてくれる達人がいる。その人の名は松嶋啓介氏。フレンチレストラン「KEISUKE MATSUSHIMA」のオーナーシェフである。
松嶋氏は20歳のときに渡仏して各地で修業したのち、2002年にニースで開店。2009年には東京の神宮前にもお店をオープンしている。彼の活躍ぶりを様々なメディアで目にしたことがある人は多いだろう。
フランス政府から料理人として初、かつ史上最年少で芸術文化勲章を授与されるなど、シェフとして高い評価を得ている松嶋氏は、「食文化の素晴らしさ」を伝える活動にも力を入れ、料理教室やワークショップを精力的に開催し、企業や研究者とのコラボプロジェクトも行っている。
「料理と人」「料理とそれ以外のジャンル」をつなぐ取り組みに熱心という意味で、松嶋氏は”&な料理人”と言えるだろう。
その松嶋氏が今回、andのクロワッサン視察隊のために、ニースのお店で特別レクチャーを開催してくれるという。
ここは「KEISUKE MATSUSHIMA」の厨房。レクチャーは自己紹介から始まった。松嶋氏は自己紹介の中でそれぞれの「悩み」も正直に教えてほしいとオーダーした。ここで解決すべき課題を明らかにするためだろう。
クロワッサンをめぐるand社スタッフの悩みは様々だ。
「パリでの食べ歩きを通じてクロワッサンには興味が持てました。ただ、事業としてどのように取り組んでいくべきかという話になると、まだ見えない部分があります」
「今後お店のオープンにまでこぎつけたとして、継続的に来てくれるファンを獲得するにはどうすればいいのか? そこが悩ましいですね」
リアルな悩みが漏れ出た。実際に現場で店を切り盛りする勝本と金井の悩みは一層切実だ。特に年長の勝本にとって、クロワッサンづくりとこれまで自分がやってきた仕事とのギャップは大きいかもしれない。
勝本は言う。
「私はですね、悩みということで言いますと、いままで日本人として米と味噌汁を主食として生活してきたのが、今回初めてパンづくりをさせていただくことになって、その生活にうまく慣れられるだろうか? ということですね。いつの間にか主食がパンになって、自分なりに誇りを持てる何かが見つかるといいんですが」
心情をストレートに吐露する。一方、金井もーー
「いままでやってきた仕事からだいぶ変わりますからね。一生懸命勉強して、『そんなこともできるようになっちゃうんだ!』というワクワク感が30%くらいあるのに対して、『僕が期待に応えられるのか?』という不安が70%くらいあります。前を向いて進んでいくしかないかな? と思ってはいるんですけど」
こちらも不安を隠しきれない。
松嶋氏は金井に質問する。「パン焼いたことあります?」
金井「ないです」
周囲はシーンと静まり返る。厨房内の緊張感が高まってきた。
松嶋氏は、今日のレクチャーをどのように進めていくべきか思案している様子。全員の自己紹介が終わったのち、こんなアドバイスから講義はスタートした。
「僕はこの職業についているプロです。プロがやっても難しいのが商売です。でも、みなさんは飲食の業界ではアマチュアですよね? ということは、まともに戦ったら勝てないですよ。日本における飲食業界はすでに飽和状態ですから、いまから多少頑張ったとしても味や効率でプロに敵いっこありません。
だからこそ、”アマチュアだからこそできること”に発想をシフトしたほうがいい。それは最初に強調しておきたいと思います。『高級なバターを使いました』といったディテールの進化ではなく、”andならでは”のコンセプトを生み出してほしいんです。
例えば、岐阜に本社があるのなら、こだわりのある地域の生産者と付き合って、岐阜の食材を用いたクロワッサンをつくるとか、みなさんにしかできないことってあると思うんですね。
もちろん僕の中には、飲食業をやってきたプロとしてのクロワッサンのつくり方というのがあります。今日はそれをご覧いただくわけですが、むしろ初心者だからできる新しいコンセプトづくりに期待したいですね」
厳しい飲食の世界で結果を出してきたプロだからこそ言える貴重なアドバイスだろう。
デリケートかつ手間暇かかる「折りこみパン生地」の秘密
続いて実技に入っていく。
まず小麦粉、牛乳、砂糖、イースト菌を混ぜて生地をつくる。それをひと晩寝かせる(今回はひと晩寝かせる行程は省略し、事前に準備いただいたものと差し替える)。andスタッフに見守られながら勝本&金井も見よう見まねでやってみる。
寝かせた生地を麺棒で伸ばし、そこに薄く伸ばしたバターを折り込む。
バターが溶けてしまわないよう、作業台に氷を入れたボールを置き、適度に冷やしておく必要がある。体温でバターが溶けるので、生地はできるだけ手で触れてはいけない。麺棒を使って伸ばす。
熟練の感覚と技が求められるデリケートな作業である。
バターを折り込んだら、生地を冷蔵庫で1時間ほど休ませ、その後バターを折り込み、また冷蔵庫へ。「折り込む&寝かせる」プロセスを3回、場合によっては4回繰り返す。
この作業を時間をかけて丁寧にやることで、生地の層とバターの層がキレイに分かれ、焼きあがったときにクロワッサン独特のあの食感と味わいが生まれる。
生地を麺棒で伸ばし、バターを折り込みながら松嶋氏はポイントを解説する。
「こうやって生地を指で押すと、少し戻ってきますよね? これはグルテンの反発力によるもの。麺棒で生地を伸ばしているとグルテンが出ますから、どんどん伸ばしにくくなります。でも、一度生地を休ませることでグルテンの反発力は弱まり、また伸びるようになるんです。
いまは薄く伸ばす機械もありますが、最初は手で覚えたほうがいいでしょうね。生地にバターを練りこむ感覚を手で確かめながら、温度とバターの関係を理解することが重要です。こういった折りこみパン生地は、途中で何度か休ませながらやりますから非常に手間暇かかります。でも、それをやらないといい生地にならないんです」
生地を寝かせている時間にも、松嶋氏によるクロワッサン講義を聞く。
松嶋氏によると、まず大切なのは「クロワッサンはパンではないことを自覚できるか」だという。小麦と水、塩、イースト菌でつくる一般的なフランスパンと異なり、クロワッサンは砂糖やバター、牛乳を用いる。パンというより”お菓子”に近い。
クロワッサンだけでなく、デニッシュやブリオッシュなども”お菓子”だ。それらを総称して「ヴィエノワズリー」という。昔は貴族しか食べられなかった贅沢な料理である。
ヴィエノワズリーとは、”ウイーンから来たもの”ということ。クロワッサンは、かつて隆盛を誇ったオーストリア帝国の宮廷料理として生まれ、その後フランスへと拠点を移した料理人がパリで流行らせ、やがて世界に広まっていった。
とても勉強になる。クロワッサンの歴史以外にも、「おいしいとは何か?」「塩分や糖質が多い『アッパー系料理』と素材の旨みを引き出す『ダウナー系料理』の違い」など、興味深い話がいくつも聞けたが、それらについては機会を改めて書いてみたい。
バターを3回折りこんで生地を寝かせたら、いよいよクライマックスだ。生地を薄く、薄く伸ばし、長細い三角の形に切り出す。そしてくるくる丸めていく。すると生地が”クロワッサンらしい”あの形になる。
勝本と金井もトライした。その表情は真剣そのものだ。額に汗が光る。二人はいま、人生で初めて「クロワッサンづくり」を体験している。
レクチャーが始まって約4時間。ついに完成した。大きさにはバラツキが出てしまったが、初心者による試作品としては上出来だろう。焼いたクロワッサンを試食する。
ここまでの緊張感もほどけ、視察隊は和やかな空気に包まれる。こうして5日間に及ぶツアーは完了した。
勝本&金井は旅をこのように振り返る。
勝本「自分たちに合ったものが何なのかはまだ見いだせていませんが、収穫はありました。いろんなお店の食べ比べができて、つくり方もひと通り見せていただけましたから。あとはひたすら練習しかないと思います。チームの力でandらしいクロワッサンをつくりたいですね」
金井「純粋に楽しかったです。本場の風に吹かれることで何かが降りてきた気がするし、もっと勉強したくなりましたね。自分のベストを尽くしたいと思います」
日本に帰ればやがて本格的な”修業”が始まることだろう。
(&つづく)